気の毒なギリヤーク人

異色ルポルタージュ

上原善広 (ノンフィクション作家) () ()

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第2回

「平和の島」が「スパイの島」に

平成二二年(二〇一〇)二月、私は冬の北海道にウィルタ協会会長の田中了を訪ねていた。 ちょうど八〇歳になる田中は、網走で長く高校教師として暮らしてきた。そのかたわら昭和五三年(一九七八)に出版した『ゲンダーヌ ある北方少数民族のドラマ』(現代史出版会)で毎日出版文化賞を受賞、現在はウィルタ協会の代表を務めている。田中のそうした活動は、すべて網走に住むオロッコ人との出会いからはじまっている。

「まあ、最初は近所にオロッコの人がおるというんで、訪ねて行ったわけです。そこにいたのは北川ゴルゴロという老人で、彼はもう仕事は引退し、セワ(祭事に使う木像)をつくったりして、いわゆるオロッコのシャーマンとして暮らしていました。網走の祭りであるオロチョンの火祭りで呼ばれたりね。あの祭りは観光用の見世物なんですけど、生活のために受けておったわけです。それからよく世間話したり、一緒に酒を飲んだりしとったわけ。

ゴルゴロの養子だったゲンダーヌはその頃、土木作業員で現場をあちこち回っていたんです。だから存在は知っておったけど、なかなか会う機会がなかったんだな。それである日、いつものようにゴルゴロの家に遊びに行ったら、そこに休暇をもらって工事現場から戻ってきていたゲンダーヌがいた」

ゲンダーヌ、日本名・北川源太郎は昭和元年(一九二六)頃、当時の樺太で生まれ育った。生まれた年が正確にわからないのは、彼らが生年月日を重要に思っていなかったからで、少数民族には珍しいことではない。田中は、網走で出会ったゴルゴロや源太郎を通じて、日本で暮らす北方少数民たち、日・ロ両大国に翻弄されつづけた彼らの人生に深く関わりを持つようになる。

そもそも戦前までは日本にほとんどいなかったギリヤークやオロッコが、なぜ戦後にサハリンから北海道に移り住むようになったのか。

「一〇〇年前まで、彼らはサハリン島内を自由に行き来して暮らしておったわけです。その後、明治三八年(1905)の日露戦争でロシアが負けた後、日本とロシアでサハリンを北緯五〇度線で区切ってしまった。そして、少数民族たちは二つに分かれてしまった島で、日・ロ両国の紛争に巻き込まれていくわけです」

島の南部を領土としていた日本は、北緯五〇度線から一〇〇キロほど南に下がった河口にある敷香(現ポロナイスク市)郊外に、北方少数民たちの村「オタスの杜」をおいた。それまで遊牧民として自由にサハリン全土を行き来して暮らしていたギリヤーク、オロッコ、サンダー、キーリン、ヤクートら五つの北方少数民族を集め、新しい集落をつくったのだ。

オタスの人口は一五〇人ほどで、当時、日本領にいた北方少数民族の三分の一が集められたといわれている。幌内川(現ポロナイ川)の河口の砂州につくられ、敷香からは三キロほど離れていたため、当時はおもに船で行き来していた。田中が網走で仲良くなったオロッコの北川ゴルゴロと源太郎は当初、このオタスの杜で暮らしていた。

昭和五〇年(一九七五)にまとめられた聞き書き『オタスの杜から網走へ オロッコ人北川源太郎さんの歩み』(網走歴史の会編)で、源太郎はその頃のことをこう語っている。

「オタスは砂地のところに部落があって、ギリヤークやオロッコが一二、三軒ずつ、キーリン、ヤクート、サンダーなどが少し住んでいた。お互いの集落ははなれていたけど、普通に付き合っていたね。ただ嫁のやりとりは嫌っていた。家は丸太で組んだ家で、丸太と丸太の間にツンドラ(苔)を入れて隙間をふさいでいたから冬でもあったかかったよ。電気は敷香に行かないと見れなかったから、ランプをともしていたけどね。

春先三月から五月ごろまでトッカリ(アザラシの北海道方言)を獲り、夏になるとマスをとり秋になるとサケ、冬になると、トナカイや木ネズミ(リス)、テン、カワウソなんかとって生活をたてていた。それはのんびりしたものだったね。戦争がなかったら、今でもそうやって平和に暮らしていたのでないかな」

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棒田 昌生
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途中の感想
Reply #1 on : 2010/08/11 17:55:55
上原さんのHPで紹介されていたので、どんな取材なのか楽しみにしていました。
アイヌ民族のこともよく知らず、無関係だと思っている大半のこの列島の住民にとって、さらに少数の北方民族のことは、上原さんの記事によってはじめて知らされることだと思います。敬意を表し、拝読します。 7月11日 金沢市から
プロフィール
上原善広 Tetsuo Suzuki ノンフィクション作家 1973年、大阪府生まれ。大阪体育大学卒業後、中学校の非常勤講師などを経てフリーに。主な著書に『被差別の食卓』(新潮新書)、『コリアン部落』(ミリオン出版)など。『日本の路地を旅する』(文藝春秋)で、本年度大宅賞受賞

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